togetter『恋愛における非対称性と対称性』を受けて僕の恋愛、恋愛感情、愛情論(未完も未完)

togetter『恋愛における非対称性と対称性』
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私のツイート(2010.09.27 22:48-2010.09.27 22:58)のまとめ(ガンガン修正してます)


成熟した大人の議論、美しい。恋愛の経験がない僕には実感がわかない。たとえば占有願望と同化願望というところ。
そしてそれらは「非対称性と対称性」に結び付くそうだ。僕にはそれ以前に愛情というものの定義が歴史的に、も自己分析的にもわからない。
歴史的に分からないというのは、「愛情の定義」はたぶんかなり尽くされた議論があるのだろうけど、その歴史や議論の展開を十分に追ったことが無いということ。つまり勉強不足。自己分析的にというのはある程度の思考実験を経ても分からないということ。
(「ある程度」には自分は自己分析を完全に達成ができるという含意があるが、それは実際には無理だろう。しかし自分がこの程度なら騙される(『<子ども>のための哲学』の用法で、「上げ底」が埋まる)という基準は確かにあるので、「その基準を満たさないまでも、思考の過程として必要な[思考実験](である必要はないのだが、そういう哲学的作業)」であることを「ある程度」に意味付けしている。
下の「思考不足」との(足らなさの)違いは、分からないということを分析しないと出ない結論があるのなら、分からないという過程は思考不足ではない。思考不足とは努力不足。)

(「愛情」と「恋愛感情」を混同してしまったけど、混同したところから始めても問題ない議論だったということで。そして僕がこれを意図的に=思考不足以上の理由で混同しているということも注。)

よく(?)「恋愛感情というものが分からない」という人がいるが、僕のそれは他の人のそれとは違うと思う。はっきりとした根拠を挙げることはできないが、(僕の想像する)彼らは「論理的には分かるが、感情としてわからない。抱いたことが無い」と言う。
僕の場合むしろ論理的に分からない。提示した意見と矛盾するようだが、むしろ感情としては「恋愛感情」として自覚したものを覚えたことがあるはずなのだ。(「あるはず」というのは形になった恋愛をしていないからエピソードを聞かれても困るというだけで、議論に関わる意味はない。)