22/09/28ツイートするにはあまりにも気恥ずかしすぎるものども

(学問の)先にあるもの(を)、前のめりになって(求める)。(二つ目の「<哲学>」、)向こう岸の<「哲学」>。

・「哲学」が求める世界は何か。社会学が求める世界は何か。数学が求める世界は何か。求められる世界側の<哲学>?「好さ」?(真理?←勉強不足)
・こちら側の<哲学>にそもそも真理はあるのか。存在するから哲学する、疑問に思う、疑問に思うことを疑問に思うことなく疑問に思う、のならば、・・・?「好さ」的な真理を導入できるのなら簡単。(でもその「好さ」的な真理は直感的に(個人的に、感情的に)は納得できないo(`ω´*)o)(え?そもそも「好さ」?「善さ」?道徳の話なんてしてないよ。それなのにソクラテスは「善のイデア」って言ってるよ。)


追記
・いや、学問の[「対象」]であればいいの!数学を学んでいる(国語的にあってるか?)人が学んでいると思っている数学は向こう岸にある生き物で、彼も<哲学>をする、自己言及を繰り返す、存在するから疑問に思う(事を疑問に思うことなく疑問に思う)のだ。
というか、自分以外のものについて考えるとき、向こう岸に生き物を作って、彼に<哲学>をさせる(シミュレーション?ではないだろう)。そうしないと「考える」ことはできない。<哲学>をすることが異常なのではなく、<哲学>以外の学問、考えること、(感情を再現すること)のほうがよく分からない物に<哲学>(本来考えることは<哲学>……疑問に思うことを疑問に思うことなく疑問に思う、疑問であることに何の意味もない疑問を抱く、なにも意味がない場所でのみ純粋に問われうる問いを解く……のみである!?)をさせるという意味で、ただシステム的に少し高度なだけなのでは?

うーむ、言葉をこねくり回しているようにしか見えないが、頭の中で考えている時には道徳、メタ倫理学の問題が少しほどけた気がしたんだがなあ……